大宮区

78.モナリザが見つめる氷川参道

さいたま新都心駅の方から中山道を来て、氷川参道の一の鳥居をくぐりふと振り返ると、ビル壁面のモナリザが見つめている。 モナリザは一五〇七年頃作の西洋文化のアイコン、それと古来からの日本文化の象徴とも言える鳥居との組み合わせ。このミスマッチも現…

84.大宮南銀座の賑わい

大宮駅東口の南側に展開する通称「なんぎん」は、埼玉県下有数の歓楽街。駅前広場から南に延びる「南銀座通り」と旧中山道に挟まれた一帯に、飲食店やカラオケ・パチンコ店などがひしめき合う。 奥まった路地の中にはいかがわしい飲食店も多く、決しておしゃ…

86.業務活動のシンボル、ソニックシティの夜景

大宮駅西口にある三十一階建てのソニックシティは、夜も灯りが点り活動を続ける。民間企業や公共機関のオフィス、宿泊やイベント施設が複合するこの施設は、県下初の事業コンペによって建設された。 高度成長期が残した優良資産というべきか。現在もさいたま…

87.音楽の発信地、大宮駅西口デッキ

ストリートミュージシャンのいる街として有名なのが新宿、鶴見、大宮だそうで、大宮駅西口のデッキ上は、路上ライブのメッカと言ってよい。熱心なファンを持つミュージシャンもいて、夕方になるとデッキ上にはいくつもの輪ができる。 「サスケ」は大宮でのラ…

88.みんなの待ち合わせ場所「まめの木」前

大宮駅コンコースの「まめの木」は、JRの中央改札(北)と中央改札(南)を出たすぐにある金属製大型オブジェ。目印として最適であることから、特に夕方には、飲み会などの待ち合わせの人々が群がり、相手を探すのに苦労するほどだ。 場内アナウンスでも「…

90.異次元空間、鉄道博物館の賑わい

鉄道のまち・大宮を象徴する施設のひとつが鉄道博物館である。一階のヒストリーゾーンには、古今の機関車や電車の実物が数多く展示されており、時空を超えて巨大な列車操車場に迷い込んだかのようである。 昨今の鉄オタブームも手伝い、子ども連れのみならず…

95.大宮ソニックシティからの眺め

大宮ソニックシティが大宮商工会館、桜木小学校の跡に造られてから二十二年になる。荒川方面から夕日に輝く姿は存在豊かだ。 ここの最上階からの眺めは庭園都市さいたまを見せてくれる。遠くに筑波山や秩父連山、日光男体山などを見ると、ここが関東平野の中…

96.超高層ビルからの氷川参道俯瞰

眼下のほこすぎ橋から真っ直ぐ伸びる氷川参道は長さ十八丁(約一・九キロメートル)、その先の大きな緑のかたまり、氷川神社と大宮公園へと繋がる。都市中心部にあるこれだけ長く豊かな緑は全国でも殆ど例がなく、さいたま市民の貴重な財産だ。 周辺には高層…

20.鴨川から望む慈眼寺

桶川市に端を発し、大宮台地を深く刻んで流れる鴨川。その大宮台地からの出口に当たるのが慈眼寺付近。この辺りには大小様々な古墳や貝塚が存在し、古代から人々が暮らす、豊かな土地であったことがうかがえる。 台地の突端にある慈眼寺・水判土観音は、地域…

55.大宮氷川神社の夏祭り

盛夏の訪れを感じる大宮氷川神社の例大祭。 八月二日に行われる橋上祭は、神様を橋の上でおもてなしする神事で、召人に選ばれ黄色の水干を着た一般市民の姿に、神社境内は平安時代の風景になる。 山車や神輿も楽しいが、伝統ある祭事を見て古代からの信仰に…

56.歳の市の賑わい

さいたま市の年末は歳の市で彩られる。さまざまな食べ物の夜店、熊手やダルマを売る店がひしめくように並び、境内もまちも普段とまったく違った風景になる。デジタル時代の若者たちが、大勢繰り出してくるのも不思議だ。 十二月十日が大宮氷川神社の十日市(…

64.アートフルゆめ(希望)まつり

桜が咲き始める三月末、大宮のまちのいたる所にアートの花が咲く。ジャズ、吹奏楽、バンド、アカペラ、僧侶の声明、民族音楽に、似顔絵、水彩画。 二〇〇八年に始まった「アートフルゆめまつり」は、市民が企画し市民が運営している市民のまつり。色彩豊かな…

65.Jリーグの興奮

真っ赤なサポーターで埋まる埼玉スタジアム二〇〇二、オレンジに染まるNACK5スタジアム大宮。シーズン中はほぼ毎週どちらかで試合が行われる。数万人の観客を収容するスタジアムは、興奮のるつぼと化す。 サッカー観戦は単なるスポーツ観戦ではない。人々の…

6.ゲリラ豪雨後の第七調節池

見沼田圃の中、大宮第二公園にある芝川調整池のひとつ。 普段は瓢箪池でへら鮒を釣る人、芝生で遊ぶ親子連れ、花火をする若者グループなどで賑わっているが、大雨で芝川の水位が一定レベルに達すると越流堤から水が流れ込む。二〇〇八年八月のゲリラ豪雨のと…

13.大宮公園ボート池の初日の出・雪・名月

大宮公園のボート池は、初日の出、雪に花そして月と、四季折々の風情を見せる。 元は見沼田圃から台地深く入り込んだ谷戸の田圃だった所。本多静六博士の公園改良計画により、下手の競技場部分を埋め立てるとともに舟遊池がつくられた。従来の地形に基づいた…