03.昔からの風土、生活を伝える風景

24.本太、長屋門が並ぶ通り

本太三丁目に長屋門が並ぶ通りがある。今はどの家も前栽畑を垣根で囲ってしまったが、玄関に続く敷石の中間に立派に改装された瓦葺き屋根と白い漆喰の長屋門が窺える。 周囲は県道四六三号バイパスが開通し、マンションが建ち並び、屋敷林の森も分断されたが…

25.本郷の長屋門

見沼代用水西縁を見下ろす台地上、旧原市道沿いに、競い合うように長屋門が並ぶ。旧本郷村には見沼通船の荷揚げ場があったそうで、舟運と陸路がアクセスし人と物が行き交う豊かな農村地帯だったことが窺われる。 蓮見家の長屋門は、旧岩槻城三の丸居宅の長屋…

26.農村の原風景、水塚の家

この水塚(みづか)の家は一九二六年(昭和元年)築。ちょうど、この辺りの荒川が直線化された年に建てられた。その前は旧荒川左岸の氾濫原(堤外地)にあったが、現在は荒川右岸堤内地となっている。 辺りには同様の家が数軒あるが、未だに荒川堤外地に居住…

27.旧坂東家「見沼くらしっく館」の餅つき

見沼田圃の傍に、江戸時代の生活空間を再現した施設がある。現在ではなかなか見ることが出来なくなった行事や暮らしの様子を、市民が体験できる。 解体修理の際、別の場所に移す案もあったが、現地保存することになった。古民家は、元々の環境と一体に残され…

28.柿木のある農村風景

見沼田圃に近い台地上、大和田の典型的な農村風景。広い畑を前にした長屋門のある農家、背後の鬱蒼とした屋敷林、そして道端にはかつて柿渋を取った柿木が並ぶ。渋柿ゆえにカラスも食べずに熟すままだ。 長屋門脇のムクノキの大木は、おそらく田んぼがあった…

29.見沼、膝子の「フナノ」復活

二〇〇八年秋、「フナノ」と呼ばれる稲藁積みが五十年ぶりに再現された。 使用した藁は約一〇トン。縦四メートル、横一・八メートル、高さ二・七メートルの舟形で、フナノの呼称もそこから。屋根の両脇には獅子頭を模した飾りもある。 この辺りは見沼田圃の…

30.見沼市民農園の米づくり

見沼田圃でも、土地を持たないNPOによる市民農園が誕生した。さいたま市及び関東農政局管内で第一号。それも水田版はおそらく全国初だろう。見沼代用水末端水路のごみ拾いや農家を助ける援農が実を結んだという。 農繁期は米作り、農閑期は斜面林を整備し…

31.西堀、安永年間創業の内木酒造

一七七六年(安永四)創業の旧浦和市唯一の酒蔵。米は県産米を中心に兵庫・新潟も加わるが、水は変わらず自社内の地下水。 以前は田圃の中にあった酒蔵も、今や周りは宅地や倉庫に変貌した。しかし酒蔵の雰囲気を醸し出すデザインで改築され、まちの景観に彩…

32.博物館として残された浦和の街並み

国道四六三号の喧騒から民家園の入り口を一歩入ると、そこにはタイムスリップしたような懐かしい景色が広がる。広々とした敷地に茅葺屋根の民家等が並び、池にはコイがゆったりと泳ぎ、柳が揺れ、陽が差す縁側には干し大根。今にも腰を曲げ手ぬぐいを巻いた…

33.今を映す中山道浦和宿の町家

南北に走る中山道沿いの沿道は、高容積率の商業地域に指定されており、「文教都市・浦和」の宣伝文句のもとに、高層分譲マンションの建設が進んだ。宿場町特有の短冊形敷地に建つ東西に長い壁状の建物は、従来の町家のみならず北側のマンションの日照も奪い…