桜区

75.埼大通りのケヤキ並木と夕暮れの富士山

北浦和駅から所沢まで延びる浦和所沢線は、「日本一長いケヤキ並木」として知られている。別名「けやき通り」、埼玉大学までは「埼大通り」ともいう。 朝は埼玉大学や浦和北高校に通う学生の自転車で溢れる。所々にある歩道橋の上からは四季を彩る並木の通景…

77.荒川の橋を渡りさいたま市に帰還

秋ヶ瀬橋、羽根倉橋、治水橋、上江橋のそれぞれで荒川を渡る時、正面にさいたま市中心部のスカイラインが迎えてくれる。無事にさいたま市に帰ってきたことを実感する風景だ。 日本の都市は、欧州の都市と違って切れ目がなく広がっており、「わが街」の姿を視…

100.荒川土手から見る様々な富士山

富士講で造られた富士塚が市内各所にある程、この地域でも富士山は親しまれてきたが、それが最もよく見える場所が荒川堤防だ。 朝日に染まる紅富士、夕焼けにシルエットで見える影富士、白銀に輝く富士など、さまざま。一層良く見えるのは冬の良く冷え込んだ…

71.さいたま市民の命を守る大久保浄水場

荒川から水をいただき、さいたま市民等に飲料水を供給している重要な施設。どこまでも続く荒川沿い低地にあって、居並ぶ貯水タンクはひと際目立つランドマークだ。 造水された飲料水は貯水タンクに常時貯留され、非常時対応を担っている。 map:x139.58455476…

23.昔のままの小川、高沼用水西縁・河童の森周辺

さらさらと流れる小川、傍らの畑にはモンシロチョウが飛び、池ではカモが餌をついばんでいる。畑の境には桃の木がピンク色の花を咲かせている。こんな日本の春を象徴するような風景が、新幹線の高架からわずか二十メートルという場所に残されている。 高沼用…

31.西堀、安永年間創業の内木酒造

一七七六年(安永四)創業の旧浦和市唯一の酒蔵。米は県産米を中心に兵庫・新潟も加わるが、水は変わらず自社内の地下水。 以前は田圃の中にあった酒蔵も、今や周りは宅地や倉庫に変貌した。しかし酒蔵の雰囲気を醸し出すデザインで改築され、まちの景観に彩…

41.田島ヶ原 サクラソウ自生地

田島ヶ原は、三月の下旬から四月の下旬まで、可憐な淡紅色のサクラソウで彩られる。四月下旬にはサクラソウ祭りが開催され、多くの人で賑わう。 サクラソウの開花後は緑の絨毯となる。チョウジソウ、ノカラマツの希少種やノウルシなど二百五十種が自生してい…

54.近代土木遺産、千貫樋水門

荒川からの洪水が堤内の農地に逆流するのを防止するため、鴨川最下流部に設けられた一九〇四年(明治三七)年完成の煉瓦水門。 現在は水門としての役目を終え、荒川の旧堤防であった県道五七号の道路橋として、水路周辺の公園の一角にひっそりと佇んでいる。…

69.電波塔・平野原送信所

荒川に近い桜区道場の水田地帯に立地するこの電波塔は、騒がしいトラス構造とは異なるロケットのようなスリムな形態で、高さ百七十三メートルの割に目立たない。支柱から下のシャープなデザインも近くでないとわからない。 ロケット型のデザインの電波塔は、…

70.台地際のランドマーク、東京瓦斯浦和整圧所

本杢(ほんもく)古墳は大宮台地の西縁から低地を見下ろす位置にある。その脇の急な坂道から見ると、住宅の隙間からガスタンクと首都高が見える。 一九九八年に高速埼玉大宮線ができる以前は、秋冬の夕方、木々の枝間から富士山が見通せ、ガスタンクと遠近の…

2.詩人たちが愛した別所沼

沼のほとりを/めぐりながら/神をおもふ 水面に映る/ひとひらの雲/羊の孤独(『冬日断章』より) と沼のほとりに住んだ詩人・神保光太郎に詠われ、古くから浦和の人々に親しまれた別所沼。今は、運動不足解消のためにジョギングする人、釣りをする人、遊…

14.秋ヶ瀬のハンノキ林

秋ヶ瀬公園は、秋ヶ瀬橋から羽根倉橋までの荒川堤外地にあり、緑と水が織りなして風景が美しい公園である。 森林と草地は、多くの生物を育んでいて、ハンノキ林は県の蝶であるミドリシジミの繁殖地となっている。初夏には雄の成虫の羽が緑色に光って飛ぶ様子…

15.緑あふれる埼玉大学

大学のキャンパスが下大久保に移転してきてから四十五年、建物が徐々に装いを変える中で、正門から伸びる中央大通り西側の雑木林は今も大切に残されている。 市民にとって大学キャンパスは馴染みが薄いかもしれないが、来てみれば思った以上の緑のボリューム…